端唄 紀伊の国
- 新水会
- 2020年12月2日
- 読了時間: 3分
〽紀伊の国は 音無川の水上に
立たせたもうは船玉山
船玉十二社大明神
さて東国にいたりては
玉姫稲荷が三囲へ
きつねの嫁入り お荷物を
担ぐは 合力稲荷様
頼めば田町の袖摺りに
さしずめ今宵は待ち女郎
コンコンチキナ コンチキナ
仲人は真っ先まっくろくろな
九郎助稲荷につままれて
子までなしたる 信夫妻
幕末から明治初期に流行したと言われています。
出だしは熊野(紀伊の国)の船玉神社について。祭文調の畏まった感じで始まります。
「さて東国にいたりては」からは一転して吉原近辺の稲荷社づくしになります。
最後は稲荷からの狐、「葛の葉の子別れ」のような異種婚「信夫妻(しのだづま)」で終わります。テンポが良く、唄っていてとても楽しい曲です。
この唄を最初に教わった時には、田町と聞いて「なぜいきなり港区??」と首をかしげていたのですが、ちょっと調べてみればわかることでした。田町とは今の東浅草で、墨田川から吉原へと向かう途中の町名です。また、「待ち女郎」という詞も「吉原には”町”女郎という階級の女郎がいたのだろう」と漠然と考えていましたが、「婚礼の時、花嫁に付き添って世話をする女性」のことだそうです。まあ、嫁入りと吉原が主題なので、掛詞的な意味合いもあるのかもしれません。
いちいち歌詞の脈略を問うのはナンセンスですが、わからない詞が出てくるとつい調べてしまいます。
備忘録として、出てくる神社・稲荷様をあげておきます。
船玉神社を除けば、「端唄 紀伊の国」巡りはすぐ出来そうです。
船玉神社(和歌山県)
玉姫稲荷(台東区清川)
三囲稲荷(墨田区向島)
合力稲荷(台東区浅草)
袖摺稲荷(台東区浅草)
真崎稲荷(台東区橋場)
九郎助稲荷(台東区千束)
「紀伊の国」巡りは今後の楽しみにとっておくとして…
今回特に興味をそそられたのは「船玉」という詞です。
仮名手本忠臣蔵の七段目に、同じ詞が出てきたことを思い出しました。
一力茶屋の場、階上から手紙を盗み見ているおかるに気づいた由良之助が、
焦る本心を隠しつつ、梯子を渡しておかるに下りてくるように促す場面です。
おかる「(梯子を下りるのは慣れないので)船に乗ったようで怖いわいなぁ」
由良之助「道理で船玉様がみえる」
おかる「のぞかんすないなぁ」
(歌舞伎オンステージ「仮名手本忠臣蔵」白水社)
私が観た吉右衛門の由良之助は、おかるに向かって「船玉様船玉様」とふざけて拝む振りをしていた気がします。つまり、襦袢がはだけて肝心なところが見えてしまった…と一種の隠語として船玉様が使われているわけです。
船玉(霊)様とは、漁師など海で働く人びとによって祀られている神様で、日本各地で信仰されています。
そもそも、船と女性には普遍的な繋がりがあるようです。世界的にも名詞に性別がある言語では、船は大抵女性詞です。日本語でも「母船」「処女航海」などといいますね。
ところで、なぜ船は女性なのでしょうか…。
また、船玉神社がなぜ海辺ではない熊野にあるのか、その船玉神社から吉原に歌詞が繋がるのはなぜなのか…などなどさらに興味が湧いてきました。
どうやらお稽古から遠く離れた考察になってきたので、ここらで一旦お開きにしたいと思います。
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